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播磨 春日山城 (2)(福崎町)
2019年08月01日 00:10

 

播磨 春日山城(2)   福崎町八千種


 春日山城は、福崎町八千草の飯盛山(198m)山頂にあり主郭(南北約30m×15m)とそれを取り巻く数段の帯曲輪と竪堀跡等が残る。北の尾根筋城が大手道で、搦め手は南のキャンプ場から登山道が敷かれている。主郭からの展望はすばらしく福崎の平野部が一望できる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鎌倉幕府の御家人後藤氏の城


 春日山城は後藤基明が室町時代当初の建武年間(1334~38)に飯盛山に築いたといわれている。後藤家は鎌倉幕府の代々の有力な御家人であり、鎌倉末期後藤基明は、赤松円心に従い倒幕と室町幕府の成立に活躍した。円心が播磨守護となり、後藤氏は赤松家臣として春日山城を根拠に福崎、姫路北部、加西の一部を治めていた。

 


秀吉軍に反旗をひるがえし戦死


 織田信長の播磨進攻当初は播磨の武将の多くは信長に恭順する動きがあったが、天正5年(1577)加古川城での加古川評定を機に、三木城の別所氏を中心として御着城の小寺氏・長水城の宇野氏等は毛利と結び信長に反旗を翻した。このとき後藤氏は三木城主別所氏に組みしたようだ。伝承では、春日城落城は三木城合戦の始まってまもない天正6年(1578)5月、基信はこの城で戦い亡くなったと伝える。

 


後藤又兵衛ゆかりの城


 大河ドラマ「軍師官兵衛」「真田丸」に登場する後藤又兵衛(基次)の本家が春日山城の後藤家であり、この城は又兵衛ゆかりの城といえる。
又兵衛が生まれた地は、『播磨鑑』には神東郡山田村(姫路市山田町)、『大日本史』に永禄3年(1560)加西郡山下村(加西市山下町)の記述がある。父は小寺政職に仕えていた後藤新左衛門(基国)の次男として生まれ、又兵衛が幼少のころ父が亡くなり、黒田官兵衛のもとで養育され、官兵衛の子長政とは幼少のときから兄弟同様に育てられたという。

 


又兵衛、大阪夏の陣で壮絶な最期


 天正6年(1578年)、黒田孝高が荒木村重によって有岡城に幽閉された際、黒田家家臣一同が織田信長への忠誠の誓紙の署名に又兵衛の母方の伯父・藤岡九兵衛が拒否したため又兵衛(16歳頃)共々一族追放となり、秀吉家臣仙石秀久に預けられた。その後、長政に呼び戻され、又兵衛24歳にして知行百石で官兵衛の家老栗山善助(利安)の与力となった。


 慶長11年(1606)又兵衛は長政との不仲により一族とともに黒田家を出奔する。長政は又兵衛に対し「奉公構」(他家への再仕官を禁じる回状)を発し、又兵衛は仕官の道を閉ざされてしまい、浪人を余儀なくされた。慶長19~20年(1614~15)大坂の陣で、豊臣秀頼の旗頭として出陣。夏の陣にて孤軍奮闘するも多勢に無勢の中、討死した。ときに又兵衛56歳

 

 

▼春日山城跡の北方に城主後藤氏ゆかりの嶺雲寺、余田大歳神社がある。

  

 

 

 

※地域情報誌「おくはりま 2017冬号」 城跡シリーズ執筆掲載より

 

【関連】

 後藤又兵衛が居城した南山田城跡(姫路市) http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=21015…bbs_id=122

 

※宍粟・播磨の城跡 http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=122


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播磨 春日山城 (2)(福崎町) - 19/08/01 00:10 (タケネット)