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美作 津山城をゆく
2019年03月25日 18:50

 

美作 津山城 をゆく    

岡山県津山市山下



 

▲復元された備中櫓                                     ▲城の東方面から  

  

  
▲天守台から南下               ▲天守台から西下                           

  
 
▲西方面を望む (粟積櫓台より)       ▲北東部を望む(粟積櫓台より) 

 

 

▲南北に流れる宮川から          ▲南東から
             

 津山城は別名鶴山(かくざん)城とも呼ばれている。城が建てられた小高い丘陵は鶴山と呼ばれ、鶴が羽を開いた姿に似ていることから名付けらたという。現在城跡は鶴山公園として整備され、5千本の桜が春を彩り「桜の名所百選」に選ばれ、訪れる人は多い。

 その昔津山は美作国の中心地にあり出雲往来の要衝にあった。美作の覇権で中世の英雄たちが合いまみれた戦いが繰り広げられた場所である


 嘉吉年間(1441〜1444)山名教清(のりきよ)が嘉吉の乱で赤松満祐の討伐に功をあげ、美作の守護となり※岩屋城(津山市中北上)を築いた。その東の守りとして、津山鶴山に山名一族(叔父)の山名忠政を守護代として支城を築城させたのが、津山城の始まりである。 

 本格的な築城は、本能寺の変で信長とともに討死した森蘭丸(成利)の弟の森忠政が、慶長8年(1603)に18万6500石で入封し、翌年から13年の歳月を費やして築き、合わせて城下の基盤をつくった。このとき鶴山を津山と改めたとされ、また津山の地名は、津を意味する吉井川の船着場の上の山の意ともいわれている。


       

▲森忠政像

 
▲津山城古城絵図 国立図書館蔵

         

▲津山城古城 説明板より


 城主は森家が四代(95年)、松平家九代(174年)の約270年の津山藩が明治維新を迎えている。
 城の建造物は、明治の廃藩置県後の明治6年に競売され、明治7年・8年に天守・櫓が取り壊された。昭和11年、地方博覧会で模擬天主が建設されたが、昭和20年に空襲の目標にされることを恐れ、終戦前に解体されたという。

 
▲在りし日の津山城(撮影:松平国忠)

         

▲北側から 城の北東の椿高下から


 古城絵図に描かれている城を取り巻く外堀跡が見当たらないのは、その堀のほとんどが埋め立てられ、宅地になっているからだ。ただ、当時の津山城南部の出雲街道の東西に広がる城下町には、商家や職業町の名称が今もなお住所に残され、城東の古い商家の町並みや点在する武家屋敷が昔を偲ばせてくれる。
 また、地域で大事に保存されているだんじりを見ると、江戸期からの伝統行事が町衆によって今に伝えられているのがよくわかる。


▲案内板                      

 

▲古い町屋(造り酒屋)


※美作 岩屋城跡
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◆ 宍粟(しそう)・播磨の城跡 http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=122


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